今から50年以上前、インパクトファクター(IF)はトムソン・ロイター(旧ISI)によって開発され、以来、学術ジャーナルの評価指標として最も広く利用されてきました。しかし先日公表された「サンフランシスコ研究評価宣言」(DORA)では、IFの信頼性や妥当性に対する批判が展開され、IFそのものを再検討する必要があることが呼びかけられています。
DORAは米国細胞生物学会によって2012年に起草され、2013年5月に公表されました。この公表に合わせ、「Journal of Cell Science」、Nature発行の「The EMBO Journal」、さらには「Science」といったジャーナルがDORAを支持する旨の論説を掲げています。IFに正面から疑問を投げかけるDORAに対しこのように名だたるジャーナルが支持を表明しているという事実は、単にIFの妥当性を問うことだけにとどまらず、それを超えた域にまで議論が発展していることを示唆するものでしょう。そして今、中核的な研究者の中でも、科学コミュニティにIFへの根強い執着があるとして懸念を表明する者が出てきています。
このような宣言はトムソン・ロイターに対する攻撃とも受け止められるかも知れませんが、実際にはそのようなことはありません。トムソン・ロイターは常にIFの限界を認め、IFを「正確な理解に基づいて」利用するよう訴えてきました。事実、DORAの公表を受け、トムソン・ロイターはこのIFをめぐる議論に関して前向きな見解を発表しています。
それでは、年を追うごとにIFをますます重要視するような風潮をつくりだしているその元凶はどこにあるのでしょうか。残念ながら、その責任の多くは研究者たち自身にあると言わざるを得ません。IFは評価におけるひとつのツールであるにもかかわらず、その限られた適応範囲や本来の趣旨を超えて利用され、 ジャーナルとそこに掲載される論文の重要性を測るものさしとしての役割を与えられるまでになりました。
学界では伝統や確立された方法論が重んじられます。しかし世界がめまぐるしく変化を遂げる中、研究者自身が科学の急速な進展についていかねばならないことは明らかです。あっという間にDORAに対する支持が集まったことは、研究者の中でもIFについて考え直そうという気運が高まっていることの表れではないでしょうか。読者とジャーナルとの関係を評価する新たなメトリクスが次々に提案されている今、ひとつのメトリクスに頼った評価だけではもう十分とは言えないのです。
DORAやIFの有用性に対するあなた個人の意見がどのようなものにせよ、IF至上主義から距離を置くことの意味を考えてみる良い機会ではないでしょうか。「ジャーナルや論文の質と内容を評価するための最もふさわしい方法とは?」「論文の投稿先として、どのような基準でジャーナルを選ぶべきか?」といった点について、研究者自身、それぞれが意識的に検討することが大切です。これら問いかけに対する答えは様々でしょう。それでも研究者個々人が導き出す答えが、これからの科学コミュニティを形作っていく上で重要な役割を果たすものとなるはずです。