特集記事


- K.N., シニアトランスレーター

以前お届けした特集記事「期待以上の翻訳サービスを得るには?」では、翻訳は「プロセス」であり、日本語が明瞭で間違いを極力排除したテキストを用意することがいかに重要かということに焦点を当てました。最良の翻訳結果を得るために、著者としてどのような準備ができるのか、今回は日本語の特異性という視点からさらに深く掘り下げていこうと思います。 オリジナル原稿に含まれる誤字脱字といった初歩的な問題を超えた、日本語特有の傾向や複雑さについて考えます。そしてこれらを踏まえ、原稿準備の際に留意すべき点をいくつか取り上げます。

母語で文章を書くとき、その言語に特有の傾向を意識することはあまりありません。言語の特徴とは概して相対的なものであり、他の言語と照らし合わせたときに初めて明らかになるものだからです。その上、母語の特徴が翻訳プロセスに与える影響まで考慮することはほとんどないでしょう。ここでは、翻訳プロセスをさらに複雑にする日本語の特徴を3つ取り上げます。これらの日本語特有の傾向を把握し、意図的に回避することで、期待通りの翻訳結果を得られる可能性が高まります。以下、そのためのヒントをご紹介します。

1. 冗長な文章
日本語の文章では、一文が数行、ときにはそっくり一段落にわたることも珍しくありません。その理由として、つなぎ言葉や読点を使うことで簡単に文節を繋げていくことができる点が挙げられますが、これは英語にはあまり見られない傾向です。一文が長ければ長いほど、翻訳者が文節の係り受けの関係や文章の意味そのものを取り違えてしまうリスクが大きくなるのは事実です。短く簡潔な文であれば、意味が曖昧になる可能性も減り、意図するとこ ろを確実に汲み取ってもらえるでしょう。執筆の際に、一文が必要以上に長くなっていると感じたら、より短く、簡潔な文に分割するのもひとつの方法です。ま た、複数の項目を挙げる際には、接続詞や句読点だけで繋げていくのではなく、項目ごとに番号を振る(つまり部分ごとに区切る)ことも有効な手段と言えます。

2. 主語の欠如 英語と違い、日本語は主語が省略されていても一文が成立します(例:「大きさは10センチだった。」)。日本語では主語なしでも自然な文章でも、翻訳の際に問題になることがあります。翻訳者は文脈を頼りに主語を推測し、一文ごとに意味の完結する明解な英文を作らなければならないからです。また、「それ」「これ」などの指示語が主語になる文でも同じことが言えます。翻訳者が混乱し誤解する可能性を避けるためにも、できる限り主語を明記されることをお奨めします。

3. 曖昧な表現 科学論文のライティングには正確性が求められるものですが、日本語の論文には昔から曖昧な表現が多く見られます。たとえば、「数センチ切開した」「小指頭大の腫瘍」などの表現や、「38度台」など温度を範囲で示す表現は、日本語の医学論文で良く使われる言い回しです。このような表現を文字通りに訳と翻訳文に曖昧さが残るだけでなく、数値を特定することが一般的である英文ジャーナルでは不自然な印象を与えかねません。この場合、正確な数値を示すことが得策と言えるでしょう(例:「2 cm切開した」、「直径3 cmの腫瘍」、「38.6度」)。

翻訳は本来、複数のステージを経て完成するひとつのプロセスであり、著者と翻訳者がそれぞれ最善を尽くしたとしても、思い通りの訳文にするためにやりとりが必要な箇所が出てくるものです。しかし、間違いや曖昧さを排除し、翻訳し易い状態の原稿を用意することで、翻訳プロセスがスムーズなものとなり、プロセスに関わるすべての人にとって良い結果をもたらすことになるでしょう。